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羽根色の意味を解説!意外と知らない活動を歴史とからめて解説♪

お役立ち
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「募金の象徴」とも言える羽根、私も学生のときは募金をした際に赤い羽根をもらいました。

恥ずかしながら私は「赤い羽根」しか知らなかったのですが、実は赤以外にも色があるんです!

羽根の色によって意味が違いますし、募金の内容も大きく異なるのです。

もし、そのことを知らずに募金をしてしまったとしても、そのお金が無駄になるわけでは決してありません。

せっかく募金をするのでしたら、自分のお金がどのように使われるのかを知っておきましょう。そのために、羽根の色別に意味を解説していきます。

色の種類や意味を知っておけば、どの活動を支援したいか考えて活動に貢献ができますよ♪ 

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羽根の色の意味を紹介!

この羽根の色は、社会運動活動の中身によって分類されています。

羽根の色は「赤色、青色、緑色、水色、黄色」の5色が存在します。この5色はそれぞれ活動の意味が異なります。


  • 募金活動名…共同募金、赤い羽根募金
    支援内容…主に地域福祉、災害、ボランティア活動

  • 支援内容…海での遭難者を救助するためのボランティアの支援
  • 黄色
    支援内容…臓器移植の推進、安全な地域社会への貢献、交通安全運動

  • 支援内容…森に関する活動
  • 水色
    支援内容…漁船海難遺児に対する支援

一般的に有名な「赤い羽根募金」は、「共同募金」とも呼ばれます。

青は海にまつわる、緑は森にまつわる、のように思い浮かべるものになぞらえて羽根に意味を持たせたのですね。

また、水色は漁船で親を亡くした子供たちにまつわる募金活動です。青色と少し区別されているんですね。

そして、黄色には3種類の募金活動の意味があります。

それぞれのルーツや歴史とともにどのような活動をしてるのかを確認できると、募金した先でどんな人の役に立てるのかを想像しやすくなりますね。

赤い羽根は地域活動に使われる共同募金

赤色の羽根は、共同募金、いわゆる「赤い羽根募金」のシンボルとして使用されています。

  • 運動期間…10月~翌年3月の6か月間
  • 寄付金の用途…寄付を受けた都道府県により異なる

運動期間については、厚生労働大臣の告示によって定められています。

この募金は、支援が必要になってから募金を募るのではなく、「準備金」という形で災害に備え、寄付金の一部を組み立てています。

集まった募金は、都道府県ごとで使い道が異なります。

私は、学校で募金活動が行われていたことから唯一この募金だけは知っていました。

なので、あなたも「どこかで見たことがある」「募金したことがあるよ」という感想ですよね。

 
 

赤い羽根募金が一番有名だよね、じゃあ歴史も古いのかな?

赤い羽根募金は、1947年の終戦直後で国民のほとんどが食糧難や住宅難に直面した日本で始まりました。

貧困で苦しむ人々のために「国民たすけあい共同募金運動」という名前で発足しました。

記念すべき第1回は、福祉施設が「崩壊寸前」という危機に瀕した状況下で行われました。それにも関わらず、なんと現在の価値で1200億円にも相当する額のお金が集まりました。

戦後で大変な世であったのにも関わらず、当時の人は募金に積極的だったのだなと感じますね。

私も、発足当時に1200億円という大きなお金が集まったことにビックリしました。

ちなみに、2021年度の共同募金は総額約170億円です。当時はこの10倍の金額が集まったんですね~!

そして多くのお金が集まったこの第1回以降、共同募金は時代のニーズに合わせてその用途を以下のように変化させてきました。

  • 1950年以降
    福祉力を高める活動に進出
  • 1960年以降
    保育所へ募金額の配分を開始
  • 1970年以降
    高齢化社会に向けたデイサービス、災害被災地への支援へ進出

このように共同募金は、時代と共にその活動の幅を広げていったのです。

 

青い羽根は海難のボランティア活動にまつわる募金

青色といえば、空、海あたりを思い浮かべますよね。そのイメージ通り、「青い羽根募金強調運動期間」といいます。

青色の羽根は海での遭難者を救助するためのボランティア支援を目的とした、募金活動のシンボルです。

  • 運動期間…7~8月の2か月間
  • 寄付金の用途…救助員の訓練費や、救助資器材の購入、救助船の燃料費

厳しい海の自然環境での海難救助活動には、多額のお金が必要なのです。そのために寄付金が使われます。

青い羽根募金の活動は、「青い羽根募金強調運動期間」としている7月、8月の2か月間、地方水難救済会と協力のもと、全国的な運動を展開しています。

さらに日本水難救済会では、「青い羽根募金支援自販機」の設置協力を呼び掛けており、今では全国に設置されています。

この自動販売機で飲み物を買うと、売り上げの一部が青い羽根募金として寄付されます。

自動販売機での募金は、聞いたことがなかったので私も興味を持ちました。

黄色の羽根は3種類の意味がある!

黄色の羽根は、「臓器移植の推進」「安全な地域社会への貢献」「交通安全運動」のように、様々な活動のシンボルとして使用されています。

一般的に通年活動している黄色の羽根募金は、「臓器移植の推進」活動です。

  • 活動期間…通年
    強化月間…9月~11月
  • 募金の用途…移植医療と人口臓器医療の発展、啓発、普及など

この募金事業は、1989年に石川県にて始まりました。2016年4月にNPO法人日本黄色い羽根協会が解散されてからは、石川県の腎友会が引継ぎ、活動名が「黄色い羽根・石川」と変更された歴史を持っています。

 
 

そういえば、7月ごろになったら政治家の人が黄色い羽根を付けているよ。
臓器移植の募金ではなくて、別の募金かな?

これはきっと「社会を明るくする運動」の募金ですね。この募金は、毎年7月を強化月間としています。

安全な地域社会を築いていくことを目的とした運動で、罪を犯してしまった人の更生についての理解を深めてもらうための活動を行っています。

ひまわりがもともとこの運動のシンボルマークだったため、この運動のシンボルも黄色になりました。

また現在、更生ペンギンのホゴちゃんなどのゆるキャラも存在しています。

私は政治家の胸元を意識して見たことがなかったので、7月になったら「募金している政治家はいるかな?」と注目してみます。

 
 

交通安全運動の黄色い羽根活動はどんなものなの?

これは春・秋の毎年2回、それぞれ10日間にわたり行われていて、黄色い羽根はこの期間に配布されています。

1955年5月に岩手県で起きた交通事故をきっかけとして、同じような事故を起こさないためにと始まったのがこの交通安全運動です。

秋の全国交通安全運動にて岩手県内で黄色の羽根が配布されたことをきっかけとして、全国に広まりました。

発祥の岩手県内では、現在も年間5万本もの羽根を配布しているそうです。

緑の羽根は森林の緑化運動にまつわる募金

緑色の羽根募金は、緑化運動に携わる企業や、森林ボランティア、NPO法人による森づくりの輪を広げる活動に使われています。

  • 運動期間…1~5月、9~10月の2回
  • 募金の用途…植樹活動や間伐活動、森林環境教育、森の教室、災害復旧支援など

緑色の羽根募金は、運動期間中に全国の各地域で街頭募金を行っています。

この期間以外にもコンビニや職場などの協賛募金箱が置いてあるところでは募金ができます。

 
 

どうして植樹活動に募金が必要なの?

私たちが生きていくためには、キレイな空気や水が必要不可欠です。それを生み出してくれるのが、森林です。

日本だけでなく、世界規模で植樹を広めていかなければいけないのです。

もし森林が失われてしまうと、砂漠化、土砂災害、水質汚染などが起き、生態系を大きく崩してしまう要因となってしまいます。だからこそ植樹が必要なのです。

さらに、この募金は間伐活動にも使われます。

もし、間伐を行わなければ木同士がお互いの成長を阻害してしまい、ひ弱な木になってしまうのです。間伐が進むと、幹の太いどっしりした木がたくさん成長し、豊かな森ができるのです。

さらに、間伐を行うことで地表に十分な日光があたり、草花が豊かに育ちやすくなります。

そこで育った草花は地表の土を雨や自然から守ってくれるだけでなく、枯れた草花は肥料となってくれます。

森林整備から教育まで多岐にわたる分野で活用されていることがわかりますね。

水色の羽根は漁船で親を亡くした遺児支援の募金

水色は、漁船海難遺児に対する支援を目的とした募金のシンボルとして使用されています。

  • 運動期間…通年
  • 募金の用途…遺された子供への奨学金の給付や就学助成事業

海で働く人たちは、常に命の危険にさらされています。

もし働いている最中に海に落ちてしまったり、波にさらわれてしまったり、万が一のことがあって家族が生活できなくなってしまった時のために、遺族の生活を支える目的でこの募金活動があるのです。

お香典・ご祝儀からの寄付や、設置台数は少ないですが自動販売機での寄付も募っています。ぜひ、見かけたら利用してみたいですね。

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黒色の羽根による炭鉱離職者を助ける活動もあった

実は、羽根の色は先ほど挙げた5色に留まりません。かつては1959年~1960年にかけて、「黒い羽根運動」というものが存在しました。

この運動は、当時炭鉱で働いていた多くの人たちが失業を与儀なくされたことにより、その人たちの生活を支えるために立ち上げられました。

このとき、石炭が「黒いダイヤ」と呼ばれていることにちなんで、羽根が黒色になったのです。

最初は炭鉱産業が盛んだった福岡県から始まりましたが、全国的に炭鉱離職者が多く深刻な問題となっていたため、その後社会活動として全国に広まりました。

なぜ炭鉱離職者が増えてしまったのか?

今は電気の発達により新幹線や電車が普及していますが、電気が身近に使われる前は石油が、そして石油が普及される前には石炭を燃料に使っていました。

昔の蒸気機関車(SL機関車)なども、石炭で走っていたのです。男の子のお子さんがいれば、きっと一度はおもちゃ屋さんで、お子さんと一緒に蒸気機関車の模型を見たことがあるでしょう。

しかし、時代の流れにより石油や天然ガスの普及が盛んになったことをきっかけに、各地で花形として活躍した石炭産業は衰退し始めます。

話は、戦前の1940年ごろまでさかのぼります。当時は日本の至るところで石炭の鉱脈が発見されていたことにより、日本の石炭産業は急発展していました。

もちろん、発展すればするほど労働者もたくさん必要になります。屈強な男たちが危険そうな炭鉱に集まり、お金を稼いでいたのです。戦後1946年ごろには石炭不足になるものの、その翌年には産出量が回復しました。

そんな中、発展途上だった石油産業は、エネルギー産業のトップに君臨する石炭の座を引きずり降ろそうと狙うかのように、着実に成長していました。

そして1950年代には、サウジアラビア・イラン・イラクなどの中東、そしてアフリカにて大油田が次々と発見され始めます。このころから、世界的に石油産業は急発展していきます。

世界的に石油がたくさん産出されて石油ブームに火が付いたため、日本でも手間がかかる石炭から扱いやすい石油へ人気が集まり始めます。石炭はだんだん不人気になり、石炭産業も徐々に衰退していきます。

そして石油だけではなく天然ガスも普及しはじめたため、エネルギー燃料としてトップの座をキープしていた石炭は、石油や天然ガスにあっさりとその座を奪われてしまいます。

この出来事を、日本では「エネルギー革命」と呼んでいます。

石炭採掘が盛んだった地域では石炭が不人気で売れなくなってしまったため、今までのようにたくさん人を雇うことができなくなり、失業する人が後を絶たなくなってしまいました。

炭鉱離職者を助けようと福岡県内の主婦が立ち上がる!

実は、この炭鉱離職者の実態にいち早く気が付いたのは、福岡県内に住む主婦たちでした。

大量の炭鉱離職者問題は、全国のなかでも炭鉱産業が盛んだった福岡県も例外ではありません。

今でいう中小企業のような炭鉱が多かった筑豊(ちくほう)地域では、特に失業する人が多く出てしまい、生活に困る人が後を絶ちませんでした。

その実態を世間の人にも知ってほしいという思いから、福岡県では県知事の特命により「炭鉱離職者の生活実態」というパンフレットが発行されました。

そのパンフレットが主婦たちの目に留まり、救済運動を始めたことが「黒い羽根募金」のきっかけです。

炭鉱離職者の実態をした福岡県内の主婦たちは、第1回福岡県母親大会にて「炭鉱離職者助け合い運動」を立ち上げました。

その後福岡県と同じく炭鉱離職者の多い北海道などでもその活動について注目し、全国の主婦たちでこの運動を進めることになりました。当時は朝日新聞にも報じられたため、社会運動にまで発展します。

黒い羽根運動はただの募金活動ではなかった!

当時のこの運動ですが、本来の目的は慈善事業ではありませんでした。政府に対して「炭鉱産業が衰退してしまったことで失業する人が後を絶たない、対策をしてほしい」と訴えることが狙いです。

それが功を奏したのか、政府は炭鉱離職者に対して支援に踏み切ります。

同1959年12月には「炭鉱離職者臨時措置法」が成立され、炭鉱離職者に対して職業紹介や職業訓練などを活発化しました。

また、1962年には「黒手帳制度(炭鉱離職者求職手帳制度)」が開始されます。黒手帳を持っている炭鉱離職者は、3年間手当を受給できるというものです。

最初は主婦たちの力により政府を動かすまでに発展したなんて、人が集まったときのパワーには圧倒されますね!

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白色の羽根により日本赤十字社の募金活動もあった!

白色の羽根による募金活動も、1950年~1956年の間で日本赤十字社により事業資金を集めるため行われました。

1948年から1949年にかけては、共同募金会と合同で「赤い羽根共同募金」として募金活動を行っていました。

その後1950年以降からは日本赤十字社単独で募金活動を始めます。そのとき、街頭募金にて寄付をいただいた人には、ブリキの赤十字マークがついた白い羽根を渡していたのです。

 
 

どうして病院が募金活動を始めたの?

日本赤十字社は、1877年に設立された「博愛者」が始まりです。

設立当時は西南戦争の最中だったため、戦争で負傷した人を敵味方で区別することなく平等に救うことを目的として、設立されました。

そのため、設立当時から会費や寄付だけで運営をしてきたのです。

その後1887年に、現在の「日本赤十字社」に名前を変更して運営を続けます。しかし、第二次世界大戦後には団体内で会費や寄付金が集まりにくくなり、運営が回らなくなってしまいました。

そこで、街頭で募金活動を呼び掛けることにしたのです。

白い羽根を渡す募金活動は1956年に終了しましたが、募金活動自体は現在も行っています。

まとめ

  • 赤い羽根は、地域活動に使われる共同募金の意味がある
  • 青い羽根は、海難のボランティア活動にまつわる募金活動に使われる
  • 黄色の羽根には、臓器移植、地域社会の貢献、交通安全運動にまつわる募金活動に使われる
  • 緑の羽根募金は、森林を守るための活動にまつわる募金活動に使われる
  • 水色の羽根は、漁船の仕事で親を亡くしてしまった遺児を支援するための募金活動に使われる
  • 黒色の羽根による募金活動は、1950年ごろの炭鉱離職者を助けるための社会活動に使われた
  • 白い羽根は、1950年から1956年にかけて日本赤十字社が事業支援を呼びかけるための募金活動に使われた

羽根の色は、身近にあるからこそあまり詳しく分からないものの一つですよね。

支援をしたいと思った活動があれば、ぜひ募金をしてみてくださいね。

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